村を出てから、三昼夜。人づてに道を探り、言い伝えの情報を聴き募っていた。しかし、状況は芳しくない。地上の虹の話など聞いたことが無い、そんな答えばかり。
「そう簡単には、いかないな…」
「もし…」
これからを逡巡していると一人の老人に呼び止められる。
「何やら探し物をしてられるご様子…」
「はい、そうです」
ユダは、長老から貰った本を見せる。
「ここに書かれている場所に行きたいのです。しかし、なにぶん、古い物で、確かなことがわかりません。加えて私はこの辺の地理に疎くて難儀をしています」
「そうか…そなた、北の王国は訪ねてみたか?」
「いえ…」
「ここから北に20キロほどの場所にセロティアという国がある。そこに巫女がおる、一度訪ねてみるといい。きっとそなたの探し物が見つかる」
「ありがとう」
ユダは簡単に礼を言って、さっそくセロティアに向かった。
セロティアは、賑やかな町だった。ゼウスの粛清もまだ、この地に及んでいないのか人々は皆、幸せそうな笑顔をしていた。
「さて、その巫女というのは、何所にいるのか」
最初に入った酒場で巫女の居場所はすぐに知れた。巫女は王宮でこの国に世情を占っているということだ。
「俺のような旅の者でも占ってもらえるものなのか?」
「ああ、月に一回、王宮の一般参賀が許されている、その時、巫女様に占ってもらうことは、可能だ」
「その一般参賀はいつになる?」
「ああ、あんた、運がいいね。明日だよ」
「なぁ、この字、なんて読むんだ?」
「ん?どれ…」
「ここんとこ」
「これは…」
天空城の一室。ガイが本を片手にゴウの周りを走り回っていた。
「最近どうした?急に勉強好きにでもなったのか?」
「ん?いや……そうじゃなくてさ…俺、今まで何にもしてなかったなぁって、思ってさ。も少し…マシに…うん、もっとみんなに為に何でも出来る大人になりたいんだ」
「なんでも出来る、大人?」
「おいっ、ソコで突っ込むんじゃねぇぞっ。マジ、へこむからさ…ユダとシンが……あいつらが帰ったら、俺……俺に任せろって、俺だって、やれんだぜってとこ、見せたいんだ……もっともっと大人になって……もっともっと、頼れるヤツになって……俺、俺……」
「……ガイ」
「なぁ、ゴウ……いつ、帰ってくんだろうな…なぁ…また、あの時間…戻って来る、よなぁ……」
言葉を紡ぐガイの両の瞳からは、涙が、流れていた。
「そう、だな…めずらしくガイが頑張っているんだ。きっと、戻ってくるさ」
「な、なんだよ…『めずらしく』ってさ」
「じゃあ『めずらしく』じゃなくなるくらい頑張ったらいい。そうしたらもう、だれもお前を子供だなんて言わなくなる」
「俺はもともと、子供じゃねぇよっ」
「なんだぁ?そうやってすぐムキになるところのどこが子供じゃないって?」
「わ、悪かったよ…」
ガイの涙に気付かないふりでいつものようにからかいはじめるゴウ。そうしなければゴウもまた…悲しみに囚われてしまいそうなのだった。
(ユダ、シン…俺達はまだこんなにも…前に進めていない…)
『ユダ…』
『……ん?』
『そろそろ、夜が明けます…』
『そうか…』
毎夜、共にした時間。ただ、互いの体温のみを感じ、朝を迎えることも少なくなかった。
肌のぬくもりを感じていられればよかった…唇の温かさを確かめていられれば………
引きよせた胸の中で、そっと小さな溜息をつく仕草…シンだけが、俺の居場所だった。
なのに…
「どうして、今、お前は、隣にいない…?」
…あの時…あの細い身体のどこにあんな力があったのか…ゼウスの放った雷の前に身を躍らせた…俺を…庇って……っ
「……シン…シン……っ」
ユダの慟哭は、誰にも…届かない……天界にも地上にも属せぬその身が、悲鳴を上げ続けていた…
「そうですか…明日には、発つのですか…」
「世話になった」
「いえ、怪我人を見捨てるほど、私は薄情ではないつもりですから」
そう、涼やかに笑うオーディーンの横顔が切ない横顔を思い起こさせた。
(…シン)
あの氷室で時を止めたまま、眠っているシンを想い、ユダは身体が小刻みに震えるのを止められなかった。このまま…このまま、何も出来ず…ただ、時ばかりを重ね、もう二度とあの温もりに触れられないとしたら…詮無い事ばかりが、ユダの心を横切る。
(私は…こんなにも弱くなってしまったのか…)
「お気をつけて…」
「ありがとう…」
僅かばかりの旅支度を村の者にしてもらい、ユダはこの地を後にした。
「待っていてくれ…シン…必ず、戻る…」
ユダの頬に優しい風が、撫でていった……
「…疲れたな…」
急く心のまま、歩を進めていたが、人間の体力は思ったより弱い。その為ユダは度々、長い休息をとる事になった。
「こんな調子では、いつになったら御印の場所に辿り着けるのか…」
虹。本来なら、形のナイモノ。それを見つけることなど出来るのだろうか?長いようで短い言葉、意味を成しているようで意味のない言葉。そんな言葉しか書かれていない地図しかユダには、持ち得ない。
「何が俺をシンの元に誘ってくれるのだろうか。俺は、いつになったらこの痛みを消すことが出来るのだろうか…」
いつ、なぜ、何所に…繰り返すのは、疑問の言葉だけ……何も無い、そのどうしようもない喪失感。今まで味わったことのない敗北感。希望という言葉をこんなにも遠くに感じたことは無いな、と自嘲する思考だけが、ユダの脳を侵していた…
これまでの話
天界の王、ゼウスに反旗を翻すことを決めた六聖獣。しかし、戦いの準備が整う前に勝敗は決した。力の差は歴然だったのだ。
地上にユダ、シンが降臨している間に戦いは始まってしまった。いや…ゼウスはすべてを知っていて六聖獣が離れるのを待っていたのかもしれない。
地上での戦いの果て、シンはユダを庇い、瀕死となる。自らの時間を止める事で永らえたが、その直後、ユダはゼウスによって、天使としての全ての力を封印される。ユダの口からゼウスへの裏切りの言葉を聴き、それが天界に残っていた者達への刃になった。
ルカは重症を負い、未だ、目覚めていない。レイはそんなルカの傍を離れない。ゴウ、ガイは天空城から出ることを許されていない。謀反を起こしたというのに4人は生き永らえていた。ゼウスの本心が見えないまま、だだ、時間だけが流れていた。
そして、シンを助ける術を探す為のユダの旅も続いていた。
*神罰~Judgment of God~&昇華~Sublimation参照
【戒めの唇】The lip of the admonition 1
『天より降りし、紅き天使に示す。我が助けを得ようとするなら、地上の虹を手に入れよ。
その虹を願いにより、解き放てば、汝の願い、叶わん。願い、それは、ただひとつの魂。真実のみが、虹を輝かせる』
降り立った地に封印されていた言葉。それが、今のユダのすべてだった。古ぼけた地図の中央に示されたゼウスの御印…
「…これがその虹の在り処か…」
手にした1枚の羊皮紙が、真実なのか、確かめる術も力もない。しかし、ここに来てのゼウスの刻印。疑惑が首を擡げる。
「これがこの地に伝わっていたと…?」
「はい、いつから…とは言えぬほどの昔から…」
「そうか…」
「私は少しばかり、人の霊気というものを感じることができます。あなたの霊気は地上のモノでは無い。故にこの本の持ち主に値すると思ったのです。今が、その時だと…」
「…感謝する」
「どうぞ、お役に立ててください。そして、地上を永久にお守りください」
長老が、深々と頭を下げ、本を差し出した。
「長老っ、その本をあげてしまうのですか?」
その様子を見てユリウスが慌てたような声で聞く。
「ああ…予言は今、目覚めたのじゃ…」
長老の静かな言葉にそれ以上は言えなくなるユリウスだった。