「そうだな…聞いてもらおうか…」
ユダはベッドに腰を下ろし、窓から差し込む月に明かりを見上げながら話し始めた。
「…この月光のような天使の話だ…」
瞳を閉じ、一つ一つの言葉を抱きしめるように…シンの事を語り始めた…
長かったのか、それほど時間は経っていないのか。話終わっても瞳を閉じたままのユダの横顔を見つめながら侑徒は理解不能の感情に襲われていた。
(なんなんだ…この暗い感情は…こんなモノが私の中にあったのか?)
話を聞き終わったら占うつもりだった。ユダが探している地上の虹。ユダが守りたいと思っている天使の事。なのに、侑徒の指は、動こうとしてくれなかった。
「ユダ……」
「ああ、すまない…すべてを話せず、要領の得ない内容になってしまったかもしれないな。もし、お前の占いに必要なら、俺の心を読んでもいいぞ」
(ユダの心を、読む…?)
それが今の侑徒にとって、至上の誘惑に思えた。読みたい、ユダの心を…しかし…
(今…ユダの心を読んだら…きっと…)
ユダの話の中に何度も出てきた『シン』という名の天使。彼を助ける為に地上の虹を捜しているとのだという。シンは、地上での戦いで瀕死の重傷を負い、フォルトナ村近くの洞窟に氷室を作り、その中で時間を止めているという。
(そんなにもユダ、あなたはシンを…)
「す、すみません…水が、濁っているようです…汲みなおしてきます」
「俺が行こう。その桶は以外と重い」
「………っ、い、いえ、大丈夫です。すぐに戻ります」
逃げるように部屋を出た侑徒。幼い頃より、占いの素質があると王宮に採りたてられ、ほどなく占術師長の位を与えられた。王はそんな侑徒を王族のように扱い、贅沢をも与えた。
今回のことも王に我儘を聴き入れてもらったのだ。欲しいものなどすぐに手に入った。
なのに…
(…欲しい……ユダの心が…どうしてこんなに……)
欲しいなら、手に入れればいい、いつものようにこの微笑みと仕草で…だが、ユダにはそうしてはならない禁忌を感じていた。
「それに…」
(私がいくら欲しがってもあの人の心は…手に入らない気がする…)
それは、侑徒にとって生まれて初めての『諦め』だった。
「立ち話もなんです。私の私室にいらっしゃいませんか?」
「…わかった」
「それが予言書ですか?」
「ああ」
「中に地図の書かれた羊皮紙が挟まっていた。そして本には、謎めいた言葉が数行。しかし、ここに記されているのはゼウスの紋章。俺の目的の場所だと思っている」
「セグレス大陸のほぼ中央…周りは神の山々と称され、人間の立ち入りが禁止されている場所ですね…」
「そう、なのか?」
「ええ…」
「侑徒、お前の眼には、この地図はどう見える?」
「どう、とは?」
「俺は…訳あって今、天使としての能力を封じられている。霊気も人間と同じになっている。以前は見えていたものが見えなくなっている…情けない話だが、俺には、この1枚の地図がすべてなのだ。しかし、これが嘘や罠の可能性もある。もし、この地図にまじないの類がかけられては…」
「大丈夫です。むしろ微かですが、聖なる霊気を感じます」
「では、やはり天界のものだと思っていいんだな?」
「ええ」
「そうか…」
「あなたは何をそれほど恐れておられるのですか?あなたほどの天使が…」
「…………」
「大きな迷い、なのですね?」
「迷い…ああ…そうなのだろう…俺は…迷っているのだ…今、己がしていることが正しいのか…俺は、間に合うのか、と…」
「間に合う…?話を聞かせていただけますか?」
「話…?お前には、なんでも見えるのでは無かったのか?」
「ええ…見ようと思えば、人の心を見ることはたやすいでしょう。実際、一般参賀の時の街に人々への占いの時はこの力を使う時もありました。でも、この力は滅多に使うものではありません。目の前にあなたがいらっるのに何故心を読む必要があるでしょう」
侑徒は、占いを正しく使っている、ユダはこの偶然の奇跡を信じることにした。もとより、今のユダには、今、しか、なかった…
「あなたがいらっしゃることは、知っていました」
「占いでか?」
「ええ、私の遠見は何でも見通します」
「『ほどなく旅立ちの時が訪れる。お前の運命を変える旅だ』そう、告げがあったのは1か月前のこと」
「そんなに前から…?」
「ええ。信じられないですか?」
「いや…信じよう」
「ありがとう。さすがに尊い魂をお持ちの方だ」
「…………っ」
「私には、見えています。あなたの背中の白い羽が」
「……………」
「告げは、あなたを天界から来た人だと言ってました。紅い髪に天使よ、どうかその名前を教えてはいただけませんか?」
「…ユダ、麒麟のユダという……いや、今は、ただの『ユダ』だ」
(麒麟という称号はゼウスから与えられたもの。もうこの冠は捨てよう)
「私の準備はすでに整っております。いつでも旅立てます」
「旅立つ?」
「ええ、私もあなたと共に地上の虹に場所までご一緒いたします」
まるでそれが最初から決まっていたことのように言ってのける侑徒。
「本日の一般参賀が終わり次第、旅立ちましょう。私の力はきっとあなたのお役に立つはずです」
涼やかな笑顔で言い放つのだった。
。。。続く
【戒めの唇】The lip of the admonition 第一部 完
続編、近日公開予定。
早朝、王宮に足を向けるユダ。まだ、門は固く閉じられたまま。
「今日、俺の運命は変わるのだろうか…」
明け方、シンの夢を見たのだ。いつものように蔵書室で本を読んでいたシン。ユダに気付くと柔らかな微笑みを投げかけてきた。そして、ユダもいつものように黙って隣に腰を下ろす。二人の間に言葉はない。だが、伝わる言葉。二人の間に流れるゆっくりとした時間。「シン…お前は、夢の中でもいつものお前なのだな」
自然と笑みが零れる。
『だけど、巫女様に占ってもらいたいってヤツはたくさんいるぜ。まぁ、運を天に任せるんだな』
カサッ。
背後に人の気配。
門番か何かかと振り返った。こんなに朝早く、門の前をうろついていたら不審に思うだろう。事情を話すべく言葉を探しながら。
「紅い髪の天使…」
ユダに視線の先にいたのは門番ではなかった。
「お前は…」
「侑徒と申します」
『侑徒(ゆうと)』そう名乗ったのは王宮に仕える巫女だった。
「明日…」
藁にも縋る思いでここまで来た。占い…また、不確かなもの。いや…天界では、占いというのは神聖なものだった。天空城には神官と共に占い師が多く住んでいた。彼らは普段、城の外には出ない。いつ何時、不浄なものの犯されるかも知れないと地下の隔部屋を与えられた。彼らが姿を現すのは、聖霊祭のときのみ。
「俺も、彼らのことはよくは知らない」
―幽閉…そんな言葉が浮かぶ…
「…ふっ…俺はとことん、ゼウスのことが信じられなくなっているようだな」
自嘲。己の心の不浄にユダは、瞳を閉じた。
「俺は、どうなっていくんだろうな」
ひとつの不信が次の不信を生む。そして、その不信が疑惑に変わった時、ユダの心から『神』は消えた。光の中に一筋の影。それは日を追うごとに長く、色を濃くしていった。
「もう…戻れないのかも…しれないな…」
そうなったら…
「そうなったら、この地上でシンと二人で暮らすのもいいな…」
そう、二人なら…それもいい。思い悩んでいても仕方ない。今は、目の前にあることを信じて歩いて行くしかない。
「…この手にシンを取り戻す為に……」